19歳から、エアロビクスインストラクターとして活動。その後6年間、米国グアム島に渡り、スポーツ課マネージャーとして勤務。Jリーグや水泳ナショナルチームなど、様々なジャンルのチームや選手をサポート。
渡米前より、ボールルームダンス界において、元ワールドカップ日本代表のペアの現役時代からのパーソナルトレーナーとしても活動し、帰国後、プロから一般まで幅広い層のパフォーマンスコーチとして、現在に至る。その過程で、欧米人の生活習慣運動を基に、歩行運動の中でのエネルギー連鎖をより機能的に生かす、独自のテクニック理論を構築。「ニュートラルキネティックウォーキング」と銘打って、一般の方々はもとより、運動指導者や女優陣への指導をはじめ、専門学校などでも講座を持つ。
ウォーキングについての自らの哲学を持ち、「歩く」とは何かについて追究し続けるその原動力は、一体何なのか。ウォーキングスペシャリストであり、哲学者である吉川恵一の素顔に、#exercise #nutrition #rest 3つの側面から迫る。
#Exercise
「歩く」とは、1歩1歩が将来の豊かさへの投資である。
―吉川さんは、日ごろどのような運動・トレーニングをしていますか?
基本的に、日ごろ心掛けていることは、とにかく歩くこと。僕にとって 「歩く」とは、その1歩1歩が自分の将来の豊かさへの投資です。言い換えれば、きれいになるために歩くとか、ヒップアップのために歩く、といった限定的な結果論ではなくて、自分の人生そのものが豊かになるように歩いているということです。
きれいになるために歩かなくても、動物として、動物の機能を生かして歩いていれば、動物らしくきれいになれる。僕は、そう思っています。「動物」らしく歩いていれば、男性は男性らしく、女性は女性らしくなれるんです。
僕はもうすぐアラフィフ世代ですが、あまりディープなトレーニーではないので、ウェイトトレーニングはしていません。40歳になってから、ウェイトトレーニングはほとんどやっていないですね。
けれどそれでも、お尻が落ちる感覚がわからないんですよ。全くその気配もない。お尻のために何か特別にトレーニングをやっているかと聞かれたら、言うなれば僕は、歩きを通じて1日1万回お尻エクササイズをしてはいるけど。
僕は、運動は4つの要素で成り立っているものだと思っています。1つは、能動的な自分でのコントロール。2つ目が、筋・腱・靭帯などの各固有器官が持つ弾力性。3つ目が、関節またぎの伸長(神経)反射、4つ目が、重力や遠心力などの外力。
僕が運動やトレーニングをするときは、これらの要素を意識しながら、1つ1つの動きにおいて自分の体の在り方を考えています。あえて踏ん張ったり、あえて跳んだり、あえて天地逆さまにしたり、走ったり、方向を変えたり。トレーニングは、こういった要素をフルに使いこなせるようになるためにするのではないでしょうか。
自分自身を深く知る中で、「足りるを知る」。
―今までで運動やトレーニングについて、考え方に変化があったことはありますか?
ありました。20代の頃は、ウェイトトレーニングに偏っていたし、筋肉の厚さだとかにこだわっていた時期があったのですが、30代である言葉に出会ってから、大きく考え方が変わったように感じます。
老子の教えで、「知足者富」(ちそくしゃふ)という言葉なんですけど。足りることを知ることで、その人は豊かになる、という意味なんですよ。
これは、欲張らずにほどほどのところで満足すればよい、という意味ではありません。自分の外側だけを見て自分にないものを追い求め続けるのではなく、自分を深く知ることで今の自分自身に満足できたとき、心穏やかに豊かに過ごせるということで。
「知足者富」は、衣食住すべて、人の生き方そのものに対しての言葉だと思います。
自然界って、絶対公平はまずない世界だと思うんですよね。同じ種族で生まれたとしても、やはり強い個体と弱い個体がいて。これは持って生まれた潜在的な生命力だから、寿命の差があるのも致し方がないことです。
そんな世界で、どこまで生きられるかわからないけどチャレンジしていこう、というのが僕らの稼業の本質だと思うんですが、その時に、自分をきちんと知るということがとても大切なことでなのではないかと思えるようになったんです。
例えば僕は自分のことを知る中で、自分はそこまで強い人間ではないらしい、と悟りました。お酒の飲み方だったり、運動の仕方だったり、周りにいるすごい人たちと同じような生活をしていたら、自分の体はダメージを受けることがわかったんです。
そこで思ったのが、今僕が有り余る筋肉量を持っていても、歳をとれば、それを維持するのがいつかきつくなるだろうということ。そして、僕は筋肉の質量を保つことを生業としていないし、趣味なわけでもないし、そこに僕の美学は持っていないということ。
このように自分について知るにつれて、自分が本当に追求したいことは、生涯動物らしく、動ける体であることだと気づくようになった。そして、そんなに(筋肉の)質量にこだわる必要性はないのかな、と考えが変わっていったんです。量よりも質というか。そういった変化がありましたね。
ウォーキングスペシャリストになる契機となった、社交ダンスとの出会い。
―吉川さんのこの業界の入りってエアロビクスでしたよね?その時からウォーキングの勉強をしていたんですか?
特にはしていませんでしたよ。ただ、僕が姿や形、姿勢にこだわり始めたのは、高校生の頃に吉川晃司さんに憧れたときだったと思います。今でもはっきりと記憶していますね。
中学生の時は、ビーバップハイスクールとか、湘南爆走族とか、そういった男としての熱い生き方みたいなものに憧れたのだけど、高校生のときは形に憧れたんですよね。(吉川晃司さんの)あの肩幅とか。そんな男らしさを意識して、高校の時はあえて肩幅を見せるためにいかり肩にしていたからか、周りから「なんでそんなに怒ってんの?」と言われていました(笑)
もう1つ、姿勢を意識し始めたきっかけとしてはっきり覚えているのは19歳のときです。アルバイトの帰り道、夜の電車から降りてぞろぞろと階段を上がっているときに、パッと周りを見渡したら一面グレーに見えたんですよ。周りの人からしたらガキの勝手な思い込みだし失礼な話だと思いますが、みんな首を垂れて、背中を丸めて歩いている光景が、僕には無機質で灰色な世界に見えました。
そのとき、僕はこの人たちと一緒になりたくないな、と強く思ったんです。どんなに打たれても、どんなに落ち込んでも、背中を丸めて歩かない、下を向いて歩かないって決めました。そしてその強い想いは、今でも自分の中にあるんですよね。
姿勢について仕事の中で意識するようになった、もっと言えば、「歩き」を伝えていかなければならない、と思うようになったのは、20年くらい前に社交ダンス界と出会ったときですかね。
社交ダンスは大英帝国が発祥の地なんですが、世界選手権は毎年イギリス開催されて、チャンピオンをとるのも毎年ヨーロッパ勢なんですよ。そこで考えたわけです。何で日本は勝てないんだろう?って。
トレーナーとしてケアを担当していたときに、パワーでもスタミナでも、体力要素面では世界のダンサーにも引けを取らないところまでやりこんだ自負はあったし、メディアの評価でも、パワフルなところを評価して取り上げてくれていた。でも、勝てなかった。
その理由は、僕は、ルーツの違い、質感のおおもとの違いだと思うんですよ。何気ない立ち構えや、歩き方の文化の違い。ということは、そもそも土俵が違うわけです。その土俵違いの中でどう頑張っても、勝負にならないじゃないですか。そこが、「歩き」について深く考え、伝えていくことにこだわりを持った契機なんですよね。
日本の「歩き」の文化は400年遅れている?欧州諸国とのルーツの違い。
―吉川さんは、社交ダンスのトレーナーから、ウォーキングのスペシャリストになられたんですよね。
そうです。それまでは、エアロビクスインストラクターをやりながらジャズダンスをやったり、ウェイトトレーニングもガンガンやったりして、単に踊れる体作りみたいなものを、乏しい知識や経験の中でやってたわけです。
でも、ご縁があってパーソナルの道にきて、ご縁があってこの(社交ダンスの)世界のダンサーたちに関わるようになって。一緒に上を目指していくにあたって、先ほどお話ししたような大きな壁にぶち当たりました。じゃあその壁の本質は何だって考えたら、それは文化の違いなんじゃないかってたどり着いたんです。
日本は、例えばランニングの分野では、世界に比べたら数十年遅れてるなんてよく言われますけど、歩きの文化に関して言えば、僕は400年遅れていると思います。
現代を生きる私たちは、フローリングの上やアスファルトの上、硬い地面の上を、靴・スカート・ズボンといった洋服を着て歩いている。これは考えてみると全部、ヨーロピアンルーツのものです。
フランスなんかでは15,16世紀にはこのような洋服文化は確立されていたのに対し、日本がこのスタイルを生活の中に組み込んだのは、19世紀の明治維新以降。だから、欧州諸国とは4世紀分の開きがあります。さらに、その文化を生み出した国と輸入した国という観点においても、ルーツとしても質感の差が生まれてきてしまう。
このことに気づいてしまった以上、僕は、「歩きの指導者たるもの、必ず歴史の意識からちゃんと持つ」ということをとても大事にしています。
歴史を知るということは、ただ単に年号、ニュース、トピックスを知ることというより、物事や人物の成り行き、起承転結を知る中で、自分のアイデンティティを知ることだと思っていて。自分がいまどういう状況にあって、何をしなければいけないのかを教えてくれる道しるべになるんですよね。
だからこそウォーキングスペシャリストには、歴史を紐解く中で、歩きを文化として伝えられる力量を備えてもらいたい。そして、僕なんか以上に社会的情報発信能力を持っているモデルさんや、これからの運動指導を担っていくトレーナーの方々にもウォーキングについてもっと深く知っていただきたいと思っています。
方法論はありとあらゆるものがあるけれど、こういった観点を押さえているウォーキング指導論はなかなかないですから。
ルーティンは、街ゆく人々を眺めること。
―日々のルーティンはありますか?
日々のルーティンは、これは運動ではないですが、人を見ることです。カフェとかに入っても、街道沿いのカウンター席に陣取って、コーヒーを飲みながら道行く人たちを見るんです。勝手な集団アセスメントですね(笑)
繁華街なんかにいると、相当な人たちが流れ行くわけですが、この人は動物的に気持ちよさそうに歩いてるなあ、という人を見つけるのは、正直四つ葉のクローバーを探すよりも難しいですよ。つまり、ほとんどいないということですね。だからこそ、見つけた時はとても嬉しくなります。
なぜ日本人は、こんなにも動物的に美しく歩いている人が少ないのでしょうか。
例えば欧米では、乳幼児健診にレッグヒールアングル検査(LHA検査)というものがあって、格段にひざ下O脚が少ないですが、日本人はO脚が多い。
それは、子供のころからそのタネが出来上がってしまっているからだと思うのです。子供を育てる親が(正しい歩き方、足の在り方について)知らない。国の文化、地域の文化、家庭の文化、個人の文化まで、落とし込まれていないのです。
僕が喫緊でこのような足やウォーキングについての情報を知ってほしいと思うのは、いままさに子どもをもうけようとしている人や、子育てをしている人たちです。次の世代に何をどう伝えていくのか。これは僕のライフテーマでもありますね。
「歩き」とは、体と心の調和を図るヨガのようなものである。
―運動をしていてモチベーションが上がらないときは、どうしていますか?
モチベーションがうまくあがらないときは、歩きます。
僕はヨガライセンスを持っているわけではないですが、ヨガが、心と体と呼吸と環境とのマッチング、調和を図るものとしての手段として存在するならば、僕にとってヨガとは歩くことである、と迷いもなく答えます。歩きで、それらの調和を実現できる段階まできていると思うのです。
自分の歩きの動きの質感とか呼吸とのタイミングを一歩一歩の中で追いかけているときって、もはや無心で。たぶんそこで脳波のバランスが整えられて、イライラな気持ちからリラックスへと持っていけるんでしょうね。
そこからさらにプラスの興奮状態へと入っていって、最後には、よし、やるかと思えるところまで気持ちを整える。だから、モチベーションがあがらないときこそ歩きます。
―いまどんな体にしたいか、目標はありますか?
一言で言えば、動物的な美しさを追求したいです。動きがきれいな動物は何かと聞いた時に、よくあげられるのが、走りが伸びやかなチーターや、流線的な動きをするイルカなどだと思います。きれいですよね。でも彼らって、格好つけていないんです。全力で、生きるための目的に向かって動いているところを、悠長に生きる人間から見たらきれいとかカッコいいとか言うわけです。
いつの日か、漫画的な話ですけど、彼らから人間を見た時に、あの人間かっこよくね?と言わせてやりたいなあと。(笑)人工的にかざりたてる格好良さだったら、たぶん彼らはなびかないんですよ。だからこそ、動物美を追求したいです。
続きはこちら:#3rules ~ウォーキングスペシャリスト吉川恵一【後編】~
吉川恵一
19歳からエアロビクスインストラクターとして活動。
その後6年間、米国グアム島に渡り、
レオパレスリゾートGUAMにて、スポーツ課マネージャーとして勤務。
渡米前より、ボールルームダンス界において、元ワールドカップ
日本代表のペアの現役時代からのパーソナルトレーナーとしても活動。
彼らが経営する広尾のダンススタジオオープンに合わせて帰国後、
プロから一般まで幅広い層のパフォーマンスコーチとして、現在に至る。
その過程で、欧米人の生活習慣運動を基に、歩行運動の中での
エネルギー連鎖をより機能的に生かす、独自のテクニック理論を構築。
「ニュートラルキネティックウォーキング」と銘打って、
一般の方々はもとより、運動指導者や女優陣への指導をはじめ、
専門学校などでも講座を持つ。
【保有資格】
・フィットネスファスティング協会 理事兼ウォーキングスペシャリスト
・NESTA JAPAN プログラム開発アドバイザー
・FIT ARC ランニングアセスメント スペシャリスト